人生では、後から考えて、あれは、そういう ことだったのか、あれが契機だったのかと思うことがある。 私にとっては、7月のとある日のことが、それだった。 - papandaDiary
「自分がやってきたことがやがて、つながっていく。
そして、それはまるでオーケストラにように
音を奏でる。」
大学で演劇サークルに所属していたとき、先輩が「物語のおもしろさは『繋がっていく』ところにある」ということを言っていました。
ここで言っていた「繋がる」とは、伏線のことでもあり、一見無関係そうなものや人が実は関係あったというようなこと。
確かに、上手に伏線がはられた物語は、「あのときのあれが、こんなところで役に立つとは!」という驚きがありますし、最近流行のスピンオフ作品やドラマのクロスオーバーでは、「あの作品で出てきていたあの人が、この作品のこんなところに!」という驚きがあります。
伏線はその期間が長ければ長いほど「効いて」きますし、実は関係していたという話はその2つが無関係であればあるほど「効いて」きます。
これは人生でも同じだと思っていて、人生の中で起きるおもしろさや驚きは色んなものが「繋がっていく」、というより「繋がっていくと感じる」ところにあります。
「繋がり」と言っても、映画やドラマに出てくるようなドラマチックなものじゃなく、例えば昔一緒に仕事をした人と別の現場でまた仕事をすることになったとか、昔バイトをしていた経験の中で培った能力が、仕事の中で活きているとかそんなレベルで全然構いません。
大事なのは、それを「おもしろい」と感じることができる感受性です。
そういう感受性をつけるためには、映画やドラマを見たり、本を読んだり、人と話をする必要があります。
一緒に仕事をするのならこういう感受性を持った人たちが良いなぁと思い、チームでミーティングするときはそういう話をちょっとするようにしています。
作業を割り振るときにも、そこに「物語」が見えるような話し方をするようにしています(それが上手くいっているかどうかは別の話ですが)。
ただ、気をつけないといけないのは、こういう「感受性」につけ込んだ悪徳商法があるということ。ものごとがあまりにもドラマチックに進んでいるときは、そういう罠がないか注意する必要があります。
みなさんは、自分の人生の中にそういう「繋がり」をたくさん感じることができますか?